おしゃれをしたら他人からの評価が「オムライス」になったのは解せぬ
今週のお題「やり込んだゲーム」
わたしが一番のめり込んでいたゲームがある。それは『オシャレ魔女❤︎ラブandベリー』だ。かつてアミューズメントパークなどで稼動していた、セガが開発したトレーディングカードゲーム方式の女の子向けアーケードゲームである。
妹と一緒に本当にやり込んだ。こういったアーケードゲームは、子供の力だけでは遊べない。今となっては、驚愕であるが、カートが一枚出てきて数分遊べるゲームは100円もするのである。親も狂気の沙汰だ。
しかし、わたしの親はある意味ネジが飛んでいるので、自分の認めたもの(ここでいう自分とは親のことである)に対して、子供が金を使うことに糸目はつけない。両親ともどもオタク気質であるし、その遺伝子を凝縮して受け継いだわたしはもちろんオタクである。
まぁ、このゲームはDSのゲームが出たのを界に、いかにDSで攻略するかになってしまい、姉妹ともども卒業した。
次にハマったゲームは、DS版『わがままファッション GIRLS MODE』である。こちらは、セレクトショップの店長として、仕入れや接客などをしていく経営シミュレーションゲームであるのだが、服に対して煌めきを感じた。
結局、わたしは学生時代アパレルバイトを少し経験したことはあっても、服飾系につくことはなかった。しかし、今でも服は好きである。
ここ2、3年で言われた、友人からの褒め言葉をあげていこう。
「k-popダンサー」「原色」「オムライス」
まぁ、そんな感じである。
若いうちしか着れない服を思う存分着ておきたい。今しかできないのだから。
ファンサ舞台でオタクはどう生き残るか
ファンサする側の俳優に送りつけると、絶賛嫌われます
ファンサ舞台において、ファンサがもらえなくなる理由の考察。
① 毎日毎日、最前に座っていて気持ち悪くなったのではという説。
オタクは気持ち悪い。が、それだけで一切見なくなるということはないのかなとも私は思う。
② 俳優の出待ちのオタクに構うなと言われた。
出待ちのオタクがついている俳優もいる。そして、そのようなオタクは新しくついたオタクを潰しては他界させる。しかし、私は俳優ではないのでわかりませんが、たかがオタクに「あの子にファンサしないで!」と言われたぐらいで、本当に実行するでしょうか?私なら、そんなこと無視します。俳優も、「そんなこと言われても知らんがな。」と考えると思うのです。
③ 違う俳優を見ている又は、違う俳優のうちわ又はペンライトを振っている時がある。
毎回、応援している俳優が近くに来るわけではありません。遠いときに、違う俳優を観ているのが気に食わないという説。俳優はオタクに対してそんなにも「俺だけを見ろ!」と思いますか?むしろ、オタク気持ち悪いからこっち見るなならわかるのですが、どうなのでしょうか?そんなにも、他の俳優を見て欲しくないものですか?
この界隈は、2.5次元なので、もちろん俳優も好きですがキャラクターが好きな人も多いです。例えば、私ならアンパンマンの作品の中でなんのキャラクターが好きかと聞かれたら、ロールパンナちゃんです。なので、応援してる俳優がもし、ロールパンナちゃんを演じるなら、理にかなっています。しかし、アンパンマンの中で好きなキャラクターはロールパンナちゃんでも、応援している俳優の役は食パンマン。だから、どっちも観たい!オタクじゃない人には、この感覚はピンと来ないでしょうか?
まぁ、キャラクター云々は置いておいて、そんなにも1人をずっと観ていないと嫌なものですか?
この3つが考えられる理由だと思いました。再三言いますが、私は俳優じゃないので、御心がわかりません。そんなものですかね?
※1 ファンサ
ファンサービスの略。
アイドルがコンサートで、客席に向かって手を振ったり、投げキスをしたりして、サービスしてくれること。
ジャニーズやAKBなどのアイドル系のファンの間で使われていたが、アニメやゲームをモチーフにした2.5次元舞台やミュージカルでもファンサ前提の構成が増えたことから、更に認知度があがった。
ファンサのよくある流れは以下。
ファンサをしてもらいたい観客が、あらかじめ大きなうちわに「バーンして!」「チューして!」といったわかりやすい要望を書いて振り、それを見た出演者がコメント通りのリアクションをする。
憧れのメンバーが自分に向かってリアクションしてくれるのは、ファンにとって最高の喜びである。(用語集から引用)
河村寿司
今週のお題「寿司」
これは3rdの亡霊によるただのお気持ち表明に過ぎない。
昨日は4th 不動峰公演を観に行った。
一言で表すと、悲しかった。
いつだって、私たちにキラキラをくれたテニミュはもうなくなってしまったのだ。
私たちはキラキラでも、表だけ輝かされたキラキラが欲しかったわけではない。
私たちは彼らの"青春"が観たかったが、彼ら自身が青春を語ってほしくはなかった。
青春とは終わってから気付くもので、青春の真っ只中にいる者はそんなことも意識しないで必死で汗をかくものなのだ。
ピンスポ、曲、ベンチワーク....細かいことを言うと色々あるが、それらがなくなったことが進化だと言うならば、仕方ないだろう。
ただ、このテニミュが大切にしてきたキラキラがなくなったとき、それは果たしてテニミュだと言えるのだろうか。
携わっているスタッフに愛がないとは言わない。たくさん考えて作られたものであろう。
ただ、一消費者である私に合わなかっただけなのだ。
私がテニミュを卒業するときが来た。しかし、もう故郷はない。
彼らが、地区大会優勝を祝って"河村寿司"に行ったように。
ひとつずつ積み上げてきた思い出を胸に....
ダウンタイムという名の堕落生活
今週のお題「やる気が出ない」
やる気が出ない
やることはたくさんある。
やる気は出ない。
とは言っても、5月中はニートであるので、やる気など出さなくても良い。
毎日、やることといったら、YouTubeをみて、Twitterをみて、TikTokをみて、一瞬インスタを確認し、メルカリの発送をするだけだ。
ただ、基本私はやる気の出す方向を間違えているので、やらなくてはいけないことそっちのけで、目頭を切ってみた。もちろんちゃんとした美容外科でではある。そりゃ、家でちょきんとはいかない。麻酔もろて。
そもそも、この5月ニートならば、ダウンタイムが必要な整形をやるに越したことはないと思い、最適な施術を探していた。
まず、最適な施術などと言っている時点で、やる気しかないのはこの際置いておこう。
そもそもなぜ整形をしようとしたか、なのだが普通にブサイクだからである。
ちょこちょこ前からやっていて、もう少し金のかかる施術を、、、と思っていた矢先、推しの舞台の凱旋公演がまるまるなくなり、金に余裕が出来た。2週間あるし、やーろっぴ。私の行動力はそんなもんだ。
はぁ、整形したい.....と呟いては何もしない女が嫌いだ。さっさと行ってこい。
5月のゴールデンウィーク前にカウンセリングを受けたところ、糸リフトと二重埋没の再手術をする予定だったのだが、なんやかんやあって、結局、バッカルファット除去と目頭切開にした。プラスでエラボトックスと目の周りのなんか注射をやったが、大したことないので置いておく。
変化として、まだ2日目だからなんとも言えないが、まぁええんとちゃうか??と言ったところだ。
バッカルファットを除去したから顎が開きにくいのか、エラボトで顎が開きにくいのかはわからないが、なんか顎が開きにくい。まあ、開かないとこうがニートには大して生活に支障がないのでいい。時間かけて飯を食うそれだけだ。
口の中からバッカルファットを取った。縫い目があるが溶ける系らしいので、抜糸は必要ない。ちょっと気になるけれど、口内炎よりも気にならない。痛くもない。ただ、糸がある。ニートは暇なので、舌でチロチロ遊ぶ。
目頭切開は見た目はこちらの方がザ傷という感じだが、気にならない。むしろ気にならなすぎて寝ている間、触ってしまいそうで怖い。
今のところ、術後痛いNo. 1が親知らず抜いた時なのがおもしろい。あれは、術後不快すぎた。
何にもやる気が出ない女、顔変えるのはやる気まんまんジェントルマンすぎておもしろい。
4月の5大都市ツアーは投石されても文句は言えない
今週のお題「おうち時間2021」
私は非国民であるので、このゴールデンウィークに東京大遠征を企てていた。
3月末の東京から始まり、4月に宮城、大阪、尼崎、福岡と5都市を回った。
遠征用のキャリーバックにパッキングするのも慣れたものだ。
このゴールデンウィークからは東京凱旋が始まる予定であった。
しかし、急な宣言により公演は直前に中止。
福岡で観た公演が生で観劇できる最後となった。思ってもいなかった大千穐楽で、最前+推しの立ち位置だったのは運命としか言いようがない。(なお、客の入らない配信は大千穐楽とは言わない。)
中止に伴い、11連泊する予定であったホテルもキャンセルとなった。
そんなこんなでこのゴールデンウィークは、ずっと東京にいる予定だったにも関わらず、不本意ながらもおうち時間2021をする羽目になったのだ。
ここまで書いていくと、4月でも自粛が叫ばれていた中、とんだ非国民である。
この片田舎のご近所にバレたら村八分にされてしまう。キャリーバックを持ち出すのも、家にキャリーバックを送りつけるのも細心の注意を払った。
故に私がコロナに感染してないことの方が奇跡なのである。
さて、本題に移ろう。
おうち時間をどう過ごすか。正直なところ10日間もまるまる予定がぶっ飛んだ。
やらなければいけないこと。
やっておいた方がいいこと。
取捨選択が必要である。
忙しいと忙しいのでタイムスケジュールを組んで、こなしていけるのだが、時間に余裕が有ればあるほど上手く時間を活用できない節がある。
こうやってだらだらと書いているうちに、刻一刻と時間は過ぎていく。
とりあえず、このゴールデンウィークはたくさん寝ようと思う。明日のことも明後日のことも将来のことも考えず、意識を消して眠りにつく。あ〜考えなくない。なんでこんなことに
なっちゃったんだろう。
蓋を回すと大人びた園児の私がいた
掃除をした。
何も捨てられなかった。
比較的、捨てられないものが多い人生だと思う。
捨てられなかったチケットの半券。
捨てられなかったアイドルの切り抜き。
捨てられなかった猫のメモ帳。
全部全部もっかいしまった。
流石に一年間でセンチ単位のチケットの半券が溜まってくのはどうかと思うが。
場所があるならそれでもいいと思う。
綺麗さっぱり捨てることが必ずしもいいことだとは思わないから。
でも、今回の掃除で3歳から洗っては入れ換えて使っていたボディクリームの容器を捨てた。
初めて買ってもらった時を覚えている。
幼稚園に行く前に、母に膝に塗りなさいと言われたのだ。中身はもう買ってもらった時と変わっているのだが(ボディークリームを団子のタレのように継ぎ足し継ぎ足し...なんて聞いたことないし、衛生観念ゼロで気持ちが悪すぎる)、当初ほんのりと花のにおいがしたのを覚えている。リボンがあしらわれたピンクの蓋の白い容器。幼児の握り拳くらいの大きさ。ずっとずっと大事だった。
だけど、急にいらなくなってしまった。
経験上、そうなるともう一生魅力に感じないので捨てても後悔はない。
なぜ、そんなに大事だったのか今となってはわからない。
今、これが生きがいとでも言うように舞台に入ったチケットの半券を大事にしているが、いつか全部捨てる時が来るのだろうか。
遅かれ早かれ、執着が消えて、人として褒められたルートに戻れる日を願う。